銀、銅メダルまずはおめでとう。

日本中で話題のフィギュアスケートの話ですが、選手の演技そのものは本当に素晴らしく、楽しめました。
しかしながら、もうあちこちで語り尽くされていることではあるのですが、男子も女子も採点に関する疑問が噴出し、問題になっていますね。
もう、本当にこの件に関するいろいろな意見はネット上のあらゆるところで出尽くしてはいるのですが、自分の考えを整理しておこうと思います。

今回問題になっていることの焦点は、つまるところライサチェクとプルシェンコの「四回転論争」で顕在化した採点システムに関する疑問であると思います(金姸兒に対する不可解に高い加点とかジャッジに送られた疑惑のメールとかに関する話題はまた別の話)。
難易度を下げてもミスのない演技に徹するか、リスクを背負ってでも大技に挑戦するか。
フィギュアスケートが「表現」を競う「スポーツ」である以上、常に付きまとう問題ではあると思います。表現を競う以上演技の完成度を下げたくないのは当然ですし、スポーツである以上より高度な技に挑戦するのもまた当然ですから。
少なくとも、選手は表現力を含めた技術を競っているわけです。出来ることを最高の内容で見せつけることも一発勝負の大技に挑戦することもその一部であり、一方が他方に優先するものではないはずです。
ですから、プルシェンコ選手とライサチェク選手のどちらかが間違っているとは思いません。

けれど、完成度を重視するあまり高度な技に挑戦することをやめてしまったとしたら、それはスポーツとしての死を意味します。
そして残念ながらこのオリンピックの結果は、その死の予感を現実のものとして感じさせることになってしまいました。
その象徴が、全てを完璧に洗練させながらも極度に難度の高い技は避けて、異例なほどの高得点で優勝を果たした金姸兒選手であるように思います。
勿論、彼女の演技は素晴らしかった。難度が高くないとはいえあれだけ完成された演技を出来ることが並大抵ではないのは間違いない。
でも、ミスがあったとはいえ同じく素晴らしい演技をした浅田真央と比較したときに、果たして20点もの差がつくような演技だったか? と考えたときに疑問符がついてしまうのも確かです。
仮に浅田がノーミスの演技をしていたら点差はどうだったか? あのミスは20点もの損失を招くようなものだったか? そうでないとしたらノーミス同士でも10数点の差がつく要素が二人のプログラムにはあったのか?
ここまで考え出すと八百長云々の話になってしまいますが(しかし実際のところ、得点操作は「あった」と個人的には思っていますが)、合計三回の3アクセルを成功させ、大きなミスもフリー中盤の一連だけだった浅田が、難度の差を差し引いてなお20点もの点差を付けられるほどあの一連のミスが致命的であるとすれば、そのルールには疑問を差し挟む余地が充分にあると思うのです。
それはミスの危険のあるような大技には怖くて誰も挑戦できなくなる、まさにプルシェンコが危惧しているとおりに、競技が衰退していく可能性を孕んでいるからです。
当然、とにかく大技を繰り出せばいいという大味な競技になって良いはずはありません。
けれど、今回のオリンピックの結果が示すのは、みんなが同じように出来て当然の技ばかりを組み込み、細部の完璧さだけで競う競技になっていく未来です。
もしもそんな事になれば、勝負は始まる前から決したも同然になってしまいます。
そんなのは観戦していて何の楽しみもありません。誰がどんな技を決めるのかワクワクし、大技では失敗するのではないかとハラハラし、最後まで何が起こるか、誰が勝つかわからないのがスポーツ観戦の醍醐味だったように思うのですが。

要するに、現採点ルールでは技の難度を上げることがあまりにハイリスク・ローリターンになっているのが一番問題視されているところかと。
四回転を飛んでも回転が足りなければ「回転不足の四回転」ではなく「回転しすぎの三回転」と判定されるのではそりゃ四回転を避けたくもなります。
難しい技に挑んでも万事完璧に決めなければ意味はないどころかマイナスになるんですから。
プルシェンコ選手の抗議は、四回転を避けたライサチェク選手にではなく、そうすることを選ばせた現ルールに向けたものなのでしょう。
同じルールの中で何を重視していくかは人それぞれです。
であるからこそ、選手には重視するところを自由に選べ、その上で対等な戦いが出来る制度作りが必要なのだと思います。
ジャンプだけではなく、スピン、ステップ、スパイラルは等しく重要です。勿論、それらを滑らかに繋いでいくことも。
そして、選手には得手不得手があります。何か苦手な要素があっても、他の何かが得意なら充分に取り返せる、その上で初めて公正に技術を競うことが出来るはずです。
今のルールは、どうもそうではないようです。

プルシェンコ選手が今になって万全ではない身体に鞭打って復帰してきたのにはどうもそういう危惧があるようなのですが、彼の抗議も一部の人には単なる負け惜しみと映っているようです。
フィギュアスケートを観戦して、選手の発言までを気にする人であれば、ネットであれ仕事場であれ酒の席であれ、それに関して人に語る前にその奥にあるものを考え、調べてくれるように願います。
表面だけを見て「プルシェンコ見苦しい」だの言っている人を見るのは本当に心苦しいのです。

改めて、各選手の演技は本当に素晴らしいものでした。
血の滲むような努力の末、最高の演技でつかみ取ったメダルです。判定に関して薄暗いもやもやがメダルを汚してしまったことは残念ですが、その輝きに偽りはないと思います。

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