Posts

Showing posts from February, 2014

佐村河内氏の件

これに対して自分が何か言うことがあるかどうか、そもそも彼の曲を聴いたことがないこともありかなり迷うところなのですが、曲がりなりにも音楽に関わりその道を志している身として こんな格好のネタはない 意見表明をする意味はあると考え、ここで一応の考えを述べてみたいと思います。 まず、彼の人気を決定づけた事象は「耳の聞こえない作曲家」であるという非常に目を引くプロフィールでした。 音楽家にとって聴力を失うことがどれだけのハンデであるかは想像に難くなく(僕などは音楽を「聴く」ことに中毒的なまでの快感を得ているので、そうなったら自殺も考えるかも知れません)、そうした中で作曲を続けていることは確かに聴衆の心を惹き付けるでしょう。 しかしながら、本来そのハンデと作品は別の問題です。 音楽界には彼の引き合いに出されたベートーヴェンに、現代なら盲目や片腕などの演奏者も少なからずいますし、スポーツ選手でも(今回巻き込まれる形となった高橋大輔選手もそうですが)大怪我や失意を乗り越えて活躍する人はたくさんいます。 そういった状況で研鑽を積み、一級品のパフォーマンスを成し遂げる彼らの努力と情熱は素晴らしいもので、その姿に感動する人は多いはずですし、そんな苦難の中からこそ得られるものもあるかも知れません。 ですが、ハンデを乗り越えることでパフォーマンスに劣る部分が出来るとすれば、どんな感動的なストーリーに彩られていようとそれが「見劣り」である事実は変わりません。 Aさんは恵まれているから逆境を背負ったBさんの方が凄い人だ、なんて理屈は「成果に目を向ければ」ありえないはずです。 つまり、逆に言えば少なくとも音楽や絵画など感性を用いる分野において、作品の評価と作者の背負ってきたストーリーは不可分であると思います。 ですから、僕は「純粋に作品だけを評価する」などという人はあまり信用できないと思っているし、本当にそのような態度で作品を評価するならその行為は観賞態度として不適切だとさえ考えています。 然るに、今回判明した彼の行為、被爆二世であり聾唖の作曲家であるという悲劇的なプロフィールを無関係の人間の楽曲に付加し、それを世間に向けて発表する、というのは不当に作品の価値を高める(水増しと言ってもいい)ことに他ならないと思うわけです。 しかもそのプロフィールは作品とは関係なく彼を悲劇